ちょうど 100 日前に YouTube でチェス実況を始めてから無事今日で 100 回を迎えることができた。
きっかけや実施した効果などは 100 回記念動画内で述べたので、ここではもっと根本的な本音の部分について書き記しておこうと思う。
録画は録画でしかない
録画された実況動画に娯楽性はない、と意見を書いてくださった方がいた。
その方はネガティブな意見にみえて良くないと思ったのか削除されたようだが、私はそれを見てまさしくその通りだと思った。
あくまで同じ人が同じ調子で撮った場合、録画は絶対にライブ配信に勝てないと思う。
例えば野球のテレビ実況を観る時、既に試合結果が分かっていたらどう思うだろうか。
巨人対阪神で既に阪神が勝つと分かっているのに、一生懸命巨人を応援したいと思うだろうか。
その試合を観るという行為は、あくまで勝敗という意味だけだが果たしてどのような結果をたどって負けたのかという確認になってしまう。
野球のテレビ生放送はこれからどのような結果が出るか分からないからあんなに熱狂するわけだ。
スタジアムに出向いて観戦する人などは更にその傾向が強くなるのだろう。
そして、チェスのライブ配信。
何せ前述の野球実況の例に加えて、視聴者自らが試合中に配信者を応援したり、コメントを送ったりできるわけだ。
そして配信者側もそれを見て生の声でコメントをする。
ただの録画でこれに勝てるわけがない。
私は昔録画のチェス実況動画を観るときに絶対に先に結果を確認せずに観ていたが、実際は早送りすればすぐに結果が見れてしまう。
NHK 将棋トーナメントを観ていた時も、いかに観る前からネット上に結果が貼られていると分かっていても絶対に先に確認することはしなかった。
その経験からそういう行動に出ていたわけだが、それはあくまで一部の人の楽しみ方だったわけだ。
楽しみ方は押し付けられない。
そう、こんなことは自分でも分かっていたのに、私は全く改善することなく黙々と 100 回こなした。
正確には途中でライブ配信のテストをしてみるなど中途半端に準備はしたのだが、結局すぐに止めてしまった。
人脈がない私の場合はじめから不利だというのもあったが、正直ライブ配信が好きではなかったのでこれから頑張ってやっていこうという気に全くならなかったのである。
他のチェス配信者のライブ配信も少し観たことがあるが、コメントを残したことはない。
前述の通りとても有効な表現方法であることは分かっているが、勿論これもチャンネルに依るだろうが多かれ少なかれ個人飲食店の常連化 (内輪化) するのがどうにも好きになれなかった。
チェスクラブも同様なので、こういうのは逃れられない宿命なのだろう。
だから私はバイクに乗っても常にソロ・ツーリングだった。
気持ちがついていかなかった
別にこんなのは勝ったも負けたもないし細々と続けていければそれでいいじゃないか、と思うこともあるのだが YouTube の管理ツールである YouTube Studio が便利なものでいろいろな解析結果が簡単に Google Analytics で確認できてしまう。
そこで見えたものは、私が 100 日前にチャンネルを開設してから少しずつ増えることもなく微動だにしない毎日の視聴回数・再生時間だった。
いかに私が毎日コツコツやっても結果が返ってくるどころか全く効果がない。
動画はある程度本数を上げないと結果が現れにくいというのを聞いていたので 100 回は続けることを目標としていたが、それでも全く変化がない。
しかも薄々問題点 (録画・棋力・トーク力・男性) も分かっている。
結局のところ、自分がある程度の手間をかけているからどうしてもリターンを期待してしまうわけだ。
この Blog はこの通り 4 年 7 ヶ月続けられているが、こんなものは毎日適当に書き殴れば終わりなので苦労したという認識はない。
なので別にリターンも期待していない。
だが YouTube 動画はどうしてもそんな気になれなかった。
ただ撮ったものをあげる実況動画だったとしても、動画の不要な部分の切り貼りやサムネイルの調整なども含めると動画の長さが 20 分弱の試合 + 検討だったとしても作業時間としては 40 分くらいかかってしまう。
40 分程度でも毎日続けるのは大変だと思う。
なので後半は撮れるときに撮り溜めして公開予約して毎日投稿に見せかけるという技も駆使してしまった。
どうしても時間が取れる日ばかりではないので仕方がない部分ではあるが、これだと更に録画感・作業感が出てしまう。
よって、一旦 100 回で〆て休止することにした。
再開するにしても毎日投稿でなく気が向いた時に撮影して公開予約は一切せずにそのまま直接公開する形になると思う。
結局のところ 100 回やって分かったのは、続けるのは大事だがそれ以上に工夫することが大事で、その為にはどうしてもその分野でやっていきたいという強い気持ちが必要なのだということだった。
私はそういう強い気持ちは持ち合わせていなかった。