チェスの記事を探していてたまたま将棋はなぜつまらないのかについての考察という記事を見つけて大変興味深く読ませていただいたのでメモしておく。 筆者の方も書かれているが囲碁やチェスなど他のボードゲームにも当てはまる内容となっている。 ちなみに私は記事に書かれている内容は前取り組んでいた趣味であるタイピングで強く感じた。 こういった趣味を始めるには才能もあるが若ければ若いほど有利なのは間違いなく、アラフォーになってから始めている時点でどれだけ努力してもトップクラスはおろか中堅クラスでさえも危ういというのは薄々気づいていた。 「それは努力が足りないだけだ」と言われるととても心苦しいのだが、私の場合は肉体的にもついていかない (仕事に支障が出る) ことが分かりタイピングは辞めてしまった。
チェスに関しても同様で、今の私が相当努力しても最終的に到達できるレベルは限られている。 ただ、私はそれでもいいと思っている。 結局人は才能があるないに関わらず生きるためにできること、人生が有意義になるであろうことを一生懸命にやるしかない。 チェスをよく知ったところで生活の役には何も立たないが、端からそういう観点で取り組んではいない。 尤もそれを言い出すとほとんどの趣味は否定されてしまう。 バイクツーリングなども言ってしまえばお金がかかるだけで生活には全く意味がないどころかマイナスだ。 だが、趣味というのはそういうものではない。
結局下手の横好きでどれだけ自分が納得できるか、というところにもかかっているような気がする。 私は Chess.com で既にブリッツとラピッドに関しては Chess.com に参加しているチェスを指す世界中の人の中で平均より上の位置にいる。 今の私でもこれというのがどうなのか、とは思う時があるが、今のところ私はこの結果に満足している。 これが例えばいつまで経っても R600 あたりから動かない、とかそういう感じだったら果たして耐えられるのか。 私は無理だと思う。 チェスやタイピングのように勝負がある趣味の場合は、理論上は下手の横好きでも問題ないとはいえある程度適性がないと楽しく続けられない、と思う。 ある程度相対的に自分の価値を推し量った上で楽しい、楽しくないの指標に加えてしまうのはほどほどにした方が幸せになれる気がするが、致し方ない部分もある……。
ただ、私はテレビゲームにはもう夢中にはならないが、チェスに夢中になっているのは万国共通普遍的なルールで老いても楽しめるからという理由が多分に入っているのは否定できない。 ある程度年をとるとどうしてもなるべく無駄な時間を過ごしたくない、という意識が働いてテレビゲームから離れていくのは致し方ない。 最新の信長の野望をやりたくてもルールを覚えるのが何の生活の役に立たないので嫌だという意識が働いて愕然とするわけだ。