そんなに強い人ばかりじゃない

思うところがあり Twitter を止めてから 1 週間が経ったが、フォローしていた人のツイートはまだたまに見ている (鍵の人は見れないが仕方がない)。 そんな中、一般的な観点から言うとタイピングが十分に速いにも関わらず大会で全く活躍できずに嘆いている人を見つけた。

「自分なりの努力はしたのだが思うような結果は出せないし今後もその見込みがないだろう」という事で正直気持ちが分かりすぎるだけに印象に残った。 タイピングは実力が如実にスコアに反映され格付けされてしまうハードでストイックな世界なのである。 「それなりのスコアでそれなりに頑張る」ような人には居心地がいいようには見えない。 この点に関してはどちらかというと「自分で居心地の良いポジションを作っていく」方がいいような気がする。

私もそんな事を思って「タイピングは他人を見ずに自分だけを見てコツコツとやった方が長続きするのではないか」といった趣旨のツイートをしたことがあった。 ただ、その前の「才能が大きく作用する」は思っていても言うべきではなかったとは思う。 「才能」という言葉を出してしまうとまるで現時点で遅い人は才能が無いような印象を受けてしまう。 その人の環境や経験にもよるだろうから一概に言ってしまっていいような事には思えない。

何のためにやるのか、自分が何を求めているのか

私は上 (タイプウェルでいうところの Machine 以上) を目指そうなどということは思ったことはないし、「自分にはそれだけの才能はない」と思っている。 「自分で自分にフタをしている」と言われても、確かにその通りとしか言いようがない。 自分はそこには重きを置いていないだけの話である。

タイピングは現時点の実力やそれに対する成長率など個人差が大きいのは確かであるが、コツコツと続けていけば確実にレベルアップできる趣味であり「確実にレベルアップできる点のみを楽しむ」方向に持っていくのがいいと思う。 私は趣味の一つとして自分の無理のない範囲内で空いた時間にやる位が丁度いいと思っている。 しかしいまのネット社会では嫌でも他人の情報が入ってきてしまうのでなかなか難しい話ではあるのだが、Twitter のような SNS を控えると少しは改善されなくはない。

勿論上を目指したい人はそうすればいいだろうし、そんなに (いろいろあるだろうが、多くはメンタルが) 強くない人は別に上記のようなユルイ楽しみ方でやっていってもいいのではないかと思う。 将棋プロやアマ強豪の華麗な差し回しは勿論素晴らしいものだが、だからといって町の将棋道場のそこそこ強い人に存在価値が無いかというとそんなことはないはずである。

家庭持ちの中年である自分が人生の中で何を優先すべきかというところでいうと、生きるための手段、仕事である。 趣味などは仕事に支障の出ない範囲内で楽しむのが良いと思うが、上記のようにまったり楽しみたい人が素直に楽しめる方向に持っていくには多少の気構えというか工夫が必要なところにタイピングという趣味の息苦しさを少し感じる。