以下のようなことを考えていたらレジチョイサーよしえを思い出したという話。

私に限ったことではないと思うのだが、飲食店でテーブルを選択する時や男性トイレで小便器を選ぶ時など生活の中にはちょっとした選択を行う機会が出現する。 例えば小便器の例だと、一番入り口に近いところは一番使われているので汚れが激しいのでなるべく避けるとか、例えば 5 個あるうちのどこにするべきかとか (個人的には一番横に人が来る可能性が少ない一番奥にすべきだと思うが、そのトイレへの人の出入りする人数の可能性を考えて時には中央にしたりする)、そんなのどうでもいいという人もいるかもしれないが私はそういう些細なことにきちんと向き合って考えるのが大事だと常日頃から思っている。

今日午前 11 時過ぎにケンタッキーに行ったのだが、案の定まだ店内はガラガラであり私も長居するつもりもなかったので端にある 4 つ並んでいるテーブルの一番端に座った。 ちなみにもう一方の端には年配の男性が座っていた。 店内を見渡すとまだまだ空席はたくさんあり横に座られる可能性はほとんどないと思っていた。 そこで座って食べているとしばらくして客が 2, 3 組入ってきたが、その中の一人の女性が他の席がたくさん空いているにも関わらず私の隣に座ってきた。 この瞬間強烈な敗北感に襲われた。 私はテーブルチョイスに失敗したのだ。 というより午前 11 時過ぎだから楽勝だと油断していた。

ちなみにその女性が私の隣かそれとも年配の男性の隣にするかの 2 択で迷って私の隣に座ってきたのだとしたら、その選択は正解だと思う。 私はチキンを齧っていたが、その男性はドリンクは置いていたが食事はしていなかった。 ということは私のほうが先に出ていく可能性が高いので、私の隣に座るのが正しいだろう。 しかし店内は余裕で空いており、わざわざ私の隣に座る必要など全くない。 何なのだろう。 私がその女性と同じ状態になったら絶対にアラフォー男の隣になど座らないので、全く理解できない。 無害そうに見えたのだろうか。 それは喜ぶべきなのだろうか。

今日はケンタッキーの例を出したが、私は普段行く日高屋でもっと高度な選択を行っている。 横に座られる可能性が低くなる時間帯をわざと狙っていき、入った瞬間にどこのカウンターに座れば横の人が自分が食べる頃にいなくなるのかなど判断する (置いてある食事の残量やスマホなどをいじっているかで判断する)。 人生で一番楽しみな、とまではいえないかもしれないが誰にとってもそれなりに重要であるに違いない食事の時間でのパーソナル・スペースを少しでも確保するために、私は今までも、そしてこれからも戦い続けるだろう。