実利のみを考えた人生はつまらない
表題の内容で考えさせられる場面があったのでここに考察しておく。
- 成人して独り立ちしているにもかかわらず親元にいて引きこもってゲームばかりしている
- 受験を控えているにも関わらず勉強せずゲームばかりしている
こういうケースは確かにあり、この場合は「ゲームが悪影響を与えているのでやるべきではない」ということになるだろう。 しかし「日々こなすべき業務 (学生ならば勉強) をこなした上で」ならば自由にゲームをプレイしてもいいのではないか。
「ゲームなど何の役にも立たない」という意見もあると思う。 ただ、それを聞くたびに私は思う。 「役に立つ」とは何なのか。 下記の例は役に立ってはいないのだろうか:
- クラスで A というゲームが流行しており、自分も A をプレイすることにより友人とその話で盛り上がることができた
- A というゲームをプレイしていたから B というゲームも最初からある程度うまくプレイできた (その結果 C という別の内容にも応用がきいた)
私はプログラマだが、元々 PC が好きだからという部分があったからこそその職業に繋がったと言える。 そして PC が好きになったきっかけはゲームの存在が少なからず関係している。 つまり、私にとって言えばゲームをプレイしていたことが役に立たないどころか将来の仕事を決める上での重要な経験となっていたわけだ。
何の経験が将来どんな風に役に立つか分からないが、人生において無駄な経験などほとんどないと思う。 だから、前もってできるだけ多くの経験を積んで人生の幅を広げておくべきだ。
ゲームとアニメはとかく悪者にされがちだが、それが独り歩きしてしまい「暇つぶしにしかならないのだから禁止する」ような極端な話 (しかも子どもに考える余地を与えずに一方的に禁止する) になるのは全く賛同できない。 それを言ったらほとんどの趣味は直接的な意味など無い。 勉強、ゲーム、その他の趣味に関わらず、ある一定のテーマに関して一生懸命努力するからこそ対価として得られるものがあるのだと思う。 一生懸命遊ぶことにも価値がある。